会報あさひ35号
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-68-スでもあります。 紹介した上記概要はマスコミが意図的に報道しない不都合なる真実の氷山の一角です。若く聡明な朝日大の諸君、是非自身で検索するなり調べてみて下さい。 「知らないことは罪だが、知ろうとしないことは更に深い罪です」〔船瀬俊介氏著書より〕常識にとらわれた我々にとって真実を知ることは大変な苦痛を伴います。が…知った以上静かに受け止め、先見性を持って考え、自己洗脳から目覚め、皆に伝え、そして未来の子達のためにも是非行動下さい。 諸君の健康と大いなる活躍を祈り筆を置きます。友の悲報岐阜県 大 橋   誠  本年度より、朝日大学歯学部教育後援会常任幹事を拝命いたしました岐阜県の大橋と申します。息子が、現在3年に在籍しております。部活動は硬式野球部に所属しており、一応ピッチャーをやらせていただいておるようですので、来期の支部懇談会で各地区を訪問させていただいた際は、野球部のご父兄の皆様、是非お声がけをしてください。よろしくお願いいたします。 さて、この度、昨年に引き続き投稿依頼を受けまして何を書かせていただこうか思慮しておりましたが、今年の初めに亡くなりました朝日大学歯学部の同級生の悲報において感じたことを書かせていただきます。彼とは大学時代はもとより卒業後も同じ職場で勤務医時代を過ごし、またお互い開業後も毎年、会っては、お酒を酌み交わす仲でもありました。彼の人生を振り返るとその一生は、まさに波乱万丈でした。大学時代に学生結婚をし子供が誕生し、その後卒業延期となり当時一緒に就職する予定であった浜松の清水歯科医院への就職もかなわず、親からもほぼ勘当状態だった彼は、本当に路頭に迷い悩んでおりました。私も相談を受けましたが、どうしていいかわからず、当時の清水歯科医院の院長に私が彼の事情を説明したところ、「何でもいいから面倒を見てやるから連れてこい」と言っていただけたのです。まさに藁にも縋る思いで彼は、浜松の地に赴きました。その後1年間猛勉強?をし、清水歯科医院の院長に面倒を見ていただきながら彼は、国家試験に無事合格し、晴れて歯科医師となることができたのです。その後、数年間清水歯科医院で働かせていただき、お互い開業しました。その後、順風満帆だった彼には一時医院閉鎖、保険医停止等の危機があり、また私生活では離婚と話題に事欠くことはありませんでした。その後、現在の奥様と再婚し、ここ最近はかなり恰幅もよくなり幸せな生活を送っていたようなのですが、昨年末に大動脈解離という病に倒れ、今年の初めに亡くなりました。54歳という若さでした。 昨年の大晦日の夜19時過ぎに自宅にかかってきた奥様からの電話で彼が倒れたとの一報を知りました。電話が鳴り、そして彼の奥様の声を聴いた瞬間、嫌な予感を感じたことを今も覚えています。その日は既にお酒を飲んでしまっていた私は、翌日の元旦早朝に搬送先の病院のICUを訪ねました。延命装置を体中につけた状態の彼を目の前にし、言葉を失いました。暫くして徐々に正気に戻ってきた私は、奥様が知らない彼の学生時代のエピソードについて話しながら、彼の様子を観察していました。すると、彼の右目から一筋の涙が流れてきたのです。意識の無いはずの彼が私たちの会話に反応して?もしくは悔しくて?流した涙だったのかもと今も思い出します。彼のエピソードについては書くことは尽きませんが、短編小説のよ

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